おんづ屋

鵜流SS

「怖いの?」

​ 灯りが落ちてベッドに押し倒されたとき、ようやく状況を認識出来た。段々と糖度を増していくふれあいにふわふわと脳内麻薬が放出されていて、見つめてくる視線の異変にも気付かなかった。キスをする前の確認するような瞳もどこか熱に浮かされていて、その熱さに感染したのだろう。 「鵜飼、さん?」 息が重なる距離に表情が読み取れない。瞳はひたすらに黒を映す。鼓動の一つでも聴こえたら何かわかったかもしれないのに。 どうすればいいのだろう。無垢な子供のようにじっと覗き込む。 「怖いの?」 耳元で響いた声は、身体にじんわり広がって意味を理解することが一瞬遅れた。 怖い? 今からどうなってしまうのか、何をするのかが怖いのか? それとも自分を押し倒すこの人が何をして、どうなるのかが怖いのだろうか? 低く甘い毒に含まれているのは、優しさと少しの鋭い冷たさだった。その声を何度も何度も聴かされてぬるま湯のような心地良さに浸されたら、いつの間にか抜け出そうだなんて考えられなくなる。例え、風邪を引いても出られないままでぬくもりを探すのだ。 「こわくなんてないです」 とっくのとうに心も身体も絡めとられているのだ。これ以上何があったとしても、拒むなんて選択肢があるわけない。全部あなたがそうしたのだから。 囁いた言葉は強がっているみたいに聞こえたのだろうか。相手はふっ、と吐息を漏らしながら微笑み、乱れた茶髪に手を伸ばした。 「優しくするから」 愛情で包み込むように伝えられ、恥ずかしくて赤くなっているだろう顔をそらせないまま、はい、と答えることしか出来なかった。

砂糖水は癒せない

「うかいさん……」 鵜飼にギュッと抱き付いて、胸元に顔をうずめる。温もり、匂い、鼓動音、感じとれる全てが流平を癒し、心をとろかした。脱力感と心臓の動きは比例して落ち着くのに高なってうるさい。 恋人の甘える姿を見て、鵜飼は口元を緩ませ、片手を流平の腰に、もう片方は髪を梳くように頭をなでた。つむじや耳へとキスを落とすことも忘れなかった。

「キス……してください」 存分に互いのそれぞれを堪能したころ、流平は上目遣いで見つめてそう囁いた。無意識なのか潤んだ瞳に、甘くかすれた声で強請ってくる。 相手はこれでもかというほどに劣情を誘うのが上手いと鵜飼は知っていた。わざとやっているのかは本人しかわからないところだが、そんなの別にいい。大事なのは、身体の芯が熱を帯びてきたことだ。 密着した状態ではバレるだろうけど、その後の展開において無意味なことも知っていた。 期待に答えるように口を重ね合わせた。少しずつ深くなるたびに理性が緩んでいくのを感じる。舌が絡み、くぐもった声が洩れ出す。息も絶え絶えになるころには二人とも次の段階に進むことを望んでいた。

​ 二人は肌同士の触れ合う距離で運動後の気だるい時間を過ごしていた。必要以上の甘ったるいやりとりと行為がシングルベッドの上でくり広げられている。ここに彼ら以外の人間がいたら、衝撃の光景の前に呆然するであろう。 「うかいさん」 シーツを腰に絡めながら、流平は少しでも密着しようとセミのようにくっ付いていた。鵜飼は抱き付く恋人をなでながら、営業でも通常でも見られない甘ったるく、よく響く低音で問い返す。 「なんだい」 「だいすき、です」 真っ赤にした顔を見られないように枕を抱えて、素直になってみた。いつもは伝えるのが恥ずかしい言葉も今の流平なら言えた。 「かわいいなあ、君も。僕もあいしてるよ」 愛言葉とキスの雨に降られて身体が熱くなって、この上ない幸福のなかにいる、安心のなかにいると実感して顔を上げた。 視線は当然のようにぶつかって、当たり前のように唇は重なる。唾液がお互いのものでわからなくなり、糸の橋を造るまで眠さなど忘れてしまっていた。 名残惜しげに息を吸って、二人はベッドで寝転がった。狭いスペースをくっ付きながら温もりと幸せを分け合う。 うとうとと眠気の波に襲われながらそれでも話す。 「しあわせです」「僕もだ」 朝が来たら探偵と助手に戻る。だとしても夜が終わらない世界を望んでしまうのは贅沢だよな、と思いながら流平は探偵の隣で眠った。

​ 眠った助手を眺めながら、ふと所々顔立ちの似た髪の長い女性の影が重なった。 そういえば彼女もそうだった。普段は気が強いけれど行為の際は素直で別人のように甘えてくるところが。笑顔が魅力的なところも。 過去に浸ってしまう前に、そろりとベッドを抜け出る。きゅっと腕に絡む手を離すのは忍び難いが、心で謝罪して台所へ向かう。 水を飲んで、今にも出てしまいそうなドロドロとした感情も呑み込む。 「ごめん」 闇の中で誰にも聞かれずに溶けていく、懺悔。光のない事務所も自分を圧迫しているように見えて、それでも戻る勇気もなく、手探りでソファに身体を沈めた。 とりあえず、おやすみ。鵜飼は仮眠を取るために目を閉じた。

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