おんづ屋

[R18] 探偵と助手の成り行き

架空ジャンルの二次創作をしようというテーマで書きました。図書室と駐輪場で書き上げたのが思い出です(自分語りのために置く)

崇拝助手×美人探偵

 「成り行き」という言葉は便利で、何も中身の詰まっていない、要するにスケープゴートだった。本来「成り行き」にだってそれ相応の意味が含まれているはずだが、代名詞と名詞の中間でふわふわとした言葉と化してしまったに違いない。つまり理解は出来ても消化し切れないような、ある元探偵と元助手の関係と同一の存在だった。

 バイトの清掃員の苦労も虚しく、白のシーツは見るも無惨に乱れて汚れる。それは実に平和なことで、なんら物騒でもない。三尾とベッドの上の人物は性交をしていた。だから突けばよがるし体液だって飛び散るのだ。 淡々と性器を突き刺している先を眺める。そこらの人に写真を見せて印象を訊ねれば、九割の女性は容姿を褒め、九割の男性からは怨みを買うような男だった。その男について絶世のイケメン探偵と謳われた雑誌のコピーを思い出して、笑いそうになる。探偵として決して少なくない実績があるだけのこの男に求められたものは、人を狂わせるほど美しい見た目だけなのだ。 まあ、それも仕方無い。名探偵というブランドは限られた人数だけで所有してればいい。だから気に入らないものは狡猾に蹴り落とされるし、それこそ完全犯罪さえも行われる。探偵業界も封建社会であると、新人の助手は理想と現実の差でふるいに掛けられる。長年助手をしている奴は全員まともとは程遠い。例え一般人に見えてもどこかがぶっ壊れているので、あまり関わらないことを勧める。何の変哲もない助手からのアドバイスだ。 脱線した。説明を長々とするのは探偵であって、助手はそれを凡人なりに通訳する仕事なのに。ということで、誰にでもわかるように一言でまとめる。探偵、更多野(さらたの)囿(ゆう)は、三尾(みお)倫(りん)に犯されていた。どんな状況も観察すれば、シンプルに落ち付くものだ。と決め顔で放った名探偵も、ベッドに押し倒して愛撫するとあんあん叫ぶだけの生き物になった。あまりの豹変ぶりにこちらが戸惑ってしまったが、深く考えなくとも探偵は欲求不満な人種だった。芸術家が欲を芸術に昇華させるように、探偵は欲を好奇心と推理に変換しているのだろう。じゃあ、性欲が満たされたらどうなるのか。ちらりと様子を窺った。 汗でべっとりと額に貼り付く前髪を払うこともせずに、隙間から覗く目が爛々とした光を帯びている。熱い視線から逃れるように、胸の突起を抓ってシャットダウンさせる。悲鳴らしきものを上げたところで、きゅうと全身が痙攣した。尻穴が精巣から精液を絞り出そうと複雑な動きで締め付けるが、既に三発分の液体がドロドロと逆流していると気付いていないのか。半勃ちの陰茎では、単に突っ込んでいるだけで刺激にもならない。ゆるゆると前後すると、また震えた。これで十二回目だ。更多野が絶頂すればするほど、絶望に追い詰められていく。それでも、三尾は更多野を責める手を止めることは出来なかった。 そんな訳で街を歩けば芸能人ばりの人気を誇る更多野探偵は、これまでに罪を暴かれた犯人達に同情してしまうほど簡単に堕ちた。あっけなく快楽の波に溺れていった。今は、ただの変態だ。あまりの乱れっぷりに週刊誌に乗れば、一気に全ての好意が敵意に変わるだろう。世間は、美しい探偵以外の側面を許してはくれない。 探偵とは生まれつきの役者と同じだ。役割が固定されている演劇を演じ切る使命がある。周りは担ぎ上げて、誘導して、脅してでも台本を進めさせる義務が生じる。なぜなら探偵は強力な武器で、諸刃の剣だからだ。誰しもが持つ謎というオブラートに包まれた中身を、自分だけは晒したくない。しかし、人の秘密は知りたい。身勝手な野次馬のエゴが探偵をコントロールする理由になる。 そんな探偵という仕事柄、性欲とは拗れ縺れて事件を起こす動機として切っても切れない関係だ。しかし、探偵がそれに気を取られることはあってはいけない。あくまでも推理をする材料で、それ以上の興味も行動も不要だ。わざわざそんなことに探偵のリソースは割かれるべきではない。 はっきり言ってしまおう。三尾はセックスをしたことで、敬愛すべき探偵を心底軽蔑していた。探偵は、俗物ではなく、高貴なものではないのか。例え穢れようとも、意志を持って抵抗すべきだ。目が覚めたら眠るまで、理性を働かせて思考を巡らせる。それが、真実を究明するものの態度であるはずだ。 それなのに、この有様だ。とろとろに蕩けた表情で、快楽のままに助手の肉棒を求める男が探偵であっていいはずがない。天才的な頭脳が全て本能に塗り潰されるのを、目の前で見せられる助手の気持ちさえ想像出来ないのだろう。だったら、三尾が抱いているのは何だ。探偵とはかけ離れた、ただの人間か。だとしたら何の意味があるのだろう。愛もなく、男と男がセックスをすることに。 「更多野さん」 聞こえるだろうギリギリの声量で、呟いた。快楽に負けた男は、それでも助手の呼び掛けに懸命に応えた。冷静さの欠片もない、甘ったるい声で。みお、みおくん。対外的には譫言にしかならなかったことを、探偵は知っていただろうか。 「探偵、やめましょうか」 鋭く息を吸い込んだのは、理性の復活か、それとも突然に握られた陰茎の感覚を逃すためか。瞳の涙の膜は乾くことなく、溶けた脳髄で彩られている。これは多分、後者だ。あまりの様子にため息しか出ない。やっとのことで「どうして」を引き出して、幼児に言い聞かせるように言葉を取り出した。 「更多野さん、探偵向いてませんよ。容姿は抜群なんだから、モデルとかやればいいじゃないですか」 「なんで、そんなこと、きゅうに」 混乱が頭の回転を遅めるとして、やっぱり今の更多野は幼子レベルの知能だった。鏡がないからかもしれない。自らの恥ずべき姿を見たら、いつもなら取り繕うぐらいする男だった。密室に閉じ込められた時だって、焦る心を自制していた。それがこのザマだ。 「更多野さんは、探偵なんですよね」 「あ、あたり、まえ、だろ」 「犯されて、こんな顔してるのに?」 三尾は探偵助手である。そのため探偵の七つ道具は当然いつだって持ち合わせている。その中にはデジタルカメラも、もちろんある。それで性行為に夢中になる男の顔を撮影することぐらいたわいもないことだ。美人が気持ちよさそうに熱に浮かされているのは、マニアでなくとも見惚れてしまうだろう。顔面を見慣れた三尾には、邪な感情など湧かないが。 「それと、かんけっ、ない」 「いいえ。探偵がこの表情していい訳ないです。快楽に溺れるなんて以ての外だ」 「それ、は」 上書きのために、裏筋をなぞる。喘ぎ声で消された真実は聞くべきではないと直感した。きっと、三尾の苦手なものだった。更多野のことが嫌いではないからこそ、それだけは避けなければならない。尤もそんな考えが浮かぶ以上、答えなど最初から知ってしまっているみたいなものだが。 「イキたいですか」 誤魔化す代わりに、掌を介して陰茎に唾液を垂らす。驚愕が伝わり、ピクリと主張した。そのまま、ずるりと擦ると面白いぐらいに血管が脈動している。こういうおもちゃ、ありそうだ。場違いの笑みと泣きそうな探偵はラブホテルに似合わなかった。 「イキたいなら、探偵やめるって宣言してください」 「やだぁっ」 今さら、抵抗しても探偵失格が取り消される訳でもなかった。もう無事なプライドなんて残らず粉々に砕けていると思うのだが、それでも嫌々と首を横に振り続ける。単純に謎に関われなくなるのが、探偵として拒否反応が出るのかもしれなかった。それに推理をして真実に一早く触れる経験は、パズルを解くよりはるかに中毒性が高い麻薬でありそうだ。探偵を引退した人が身近にいないのでわからないが、好奇心を満たす何かを用意しないと生活に張り合いが出なくなったり、鬱になってしまうのだろうか。そのぐらいは補償するつもりだが、元通りとは行かないことは平均をずば抜けた脳で理解してほしい。 「なんで嫌なんですか。謎が好きですか。推理がしたいんですか。誰かを助けたいんですか。なら探偵の肩書以外は出来る限り提供しますから」 それじゃあ、探偵と名乗らないだけの探偵になってしまうじゃないかとコメントを頂きそうだが、大丈夫だ、問題はない。探偵として、知らぬ他人の目の前に立たなければいい——つまりはごっこ遊びをしてる人を本気にする大人は少ないということだ。箱庭で推理ごっこしてる分には、どこまで行ってもお遊びだ。それならどうにかすれば出来ないことはない。金には困らない家柄という理由は最後の切り札にしておきたいが。 「ちがうっ! みおくん、は、じょしゅ、だから」 「え?」 思わず素に戻ってしまった。突然投げ込まれた台詞に処理が止まる。翻訳し慣れた言語なはずなのに、どう訳しても不自然で辻褄が合わない。お得意の口上にしても結論への繋がりが見えてこないのだ。手掛かりを掴むため不出来な助手は、一語一句を聞き逃さぬように静かに耳を傾けた。 「たんていじゃないと、いっしょに、いれない」 ぽかんと口を開いたまま、歯車がカチリとはまった音がした。なるほど、なるほど。この男は、三尾が助手であることに重大な意味をおいているらしかった。なんだよ、それ。三尾は、人生の中で二番目に強い衝撃を味わった。ぷつん、と線が切れる。 「助手なんて、やめてやるよ」 低い響きは傍から見たら、脅迫でしかなかった。それなのに、探偵は悲しそうで嬉しそうで、感情を綯い交ぜになった笑顔を向けたのだった。脱力した身体は、敗北宣言とでも言うのだろうか。むなしくなって、更多野を抱き寄せる。背中に腕を回されてあやされた訳は考えないことにした。 「たんてい、いんたいする」 結局、ICレコーダーは嘘偽りなく記録だけを行っていた。その台詞の後、更多野は間も置かず瞳に妖しい光を灯して、十三回目の絶頂に至る。ほとんど擦りもしていないのにマゾとしか思えないと、内心引く。淫乱か、溜まっていたのか、どちらにせよ業が深いなあと他人事のごとく思考した。そもそもの元凶かつ原因は自分なので、罪はあることは否定しない。でも探偵に探偵をやめる選択をさせることは罪なのか。更多野が探偵でなくとも、同業他社にお鉢が回って感謝されるだけだ。もしも、この男が世界で唯一の才能を持った人間なら話は別だろうが。 探偵という柵(しがらみ)にメリットなんて数える程しかなくて、その内のメリットにありつけるのはほんの一握りの探偵だけだ。更多野は、極々普通のありふれた探偵だった。天使と比喩される美貌を持った探偵だった。それだけだった。ストーカーに遭ったり、アイドル扱いされたり、犯人からサインと引き換えに自白を貰えるような、台本狂わせな探偵だった。だけどもう、ひたすら快感に弱い、人間だ。 「みおくん」 なぜだかすっかり復活していた、三尾の陰茎に媚びを売るだけの元探偵がいた。蔑みと似た熱がふつふつと表に出るのを抑え込む。その熱の名前を更多野は知っている。その答えが三尾を更多野と同じ舞台へ引き摺り降ろすと確信した。そして三尾の恐れを更多野は見抜いている。にやりと歪んだ口元から紡がれ始めた音を消し去るために唇を重ねた。それは長い長いセックスで初めてのキスだった。息が苦しくなるまで塞いだ言葉は唾液と混じり体内を侵食する。三尾は冷や汗が伝うのを感じた。 案の定、元探偵はしあわせそうに笑っていた。

後日談

 一度発言したことには責任を持つのが大人というものだろう。やけに落ち込んだ様子の更多野に、証拠の音声を突き付けながら、事務所の看板を外させたのは一昨日のことだ。  その翌朝、どこからか湧いてきた記者やファンの対応に三尾は追われた。記者からの下世話な質問やファンからのやめないでコールなどを華麗に躱し、エレベーターに乗り込む。更多野の自宅兼元探偵事務所に着けば、そ知らぬ顔で呑気にベッドで眠っていて腹が立った。頬を軽く叩き、肩を揺さ振り、ようやく目覚めた更多野は数回瞬きをして口を開いた。 「おはよう。何か事件か?」 「更多野さん、下に野次馬が沢山集まってます」 「あっ、もしかして飛び降り自殺?」  どこか浮き浮きと目を輝かせた姿は、探偵という職業の特異性を際立たせる。人の不幸で飯を食う仕事はそこそこあるが、命を軽々しく好奇心の種にするのは不謹慎極まりないと叩かれなかったのが不思議である。 「そろそろ現実見ましょう。更多野さんは探偵を引退したんです。自分で看板降ろしたでしょう」  そうだった、と沈んだ声で呟いた。けれど更多野は諦めがつかないようで、こちらを睨んできた。大抵の人は視線一つで退けられるはずだが、逃げるつもりもないので受け止める。 「まさか僕の引退を記者にリークとかしてないだろうね」 「してませんよ。大体こんな騒ぎになるなんて、思いもしませんでしたし」 「そっか」  ただのイケメンとなった更多野に何の価値があるんだか、野次馬の興味を理解するつもりはなかった。センセーショナルなニュースに溢れる世界に、探偵の引退などすぐ忘れ去られることはわかっている。ただ下の騒ぎに対してビルの管理人から文句を言われると想像するだけで気が重かった。あの人、いい人なんだけど怖いんだよな。そんなことを考えていたら、更多野は布団から降りて囁いた。 「あのさ、今日は泊まってよ」 「え? はあ、まあ、いいですけど」  難事件が立て込んだときに、事務所に泊まったことは何回かある。しかし友人の家に遊びに行く感覚で誘われるのは初めてだった。三尾の返事に満足したらしく、家の主はキッチンへと向かった。コーヒーを淹れるのだろうと、ダイニングでしばし待つことにした。窓の外の雀は下界の雑音を無視して、囀る。羨ましい限りだ。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」  雀が飛び去り、程なくしてコーヒーは運ばれる。二人ともブラックでは飲まないと知り合いの刑事に話したら、意外だと驚かれたことがあった。これまでの探偵への偏見で、一番面白かった。三尾は砂糖を一杯溶かし、更多野はミルクをふたまわしと砂糖を入れる。もはや更多野のコーヒーはカフェオレだが、本人はブレンドコーヒーと言い張る。甘ったるいだろうそれに真顔で口をつけて、こちらの様子を窺っていた。気付いてはいるが反応が面倒なので知らぬふりを貫く。優雅なカフェタイムが終わりに近付いて、ようやく目の前の男は話を切り出した。 「満足した?」  何を、と問い返すことは求められていなかった。はぐらかしていたことが真っ向から質問されただけだ。ちょっと考えをまとめて、答える。 「微妙ですね。七割ぐらい」 「なんだよ、それ」  堪えられないとばかりに声を上げて笑う。三尾くんは変わらないね。そう言われて、曖昧な相槌を打つ。変化することに人は敏感だから、彼が変わらないといえば変わっていないのだろう。言語化し難い違和感を捉えるのは職業柄、得意なはずだった。だから、更多野は三尾の心中までは踏み込んでいないようだ。一瞥したら、靄掛かった正体をすっかり読み解いてしまえるだろうから。 「とりあえず一日中遊ぼうか」  することなくて、暇なんだよ。三尾くん、どうにかして。一頻り笑い疲れて、我儘をぶつけてくる。子供のような更多野に、ため息を吐いて提案する。トランプは? ない。本がありますよね。全部読み終わった。ゲームとかは。ここは元事務所だろ、ある訳ない。また、ため息。  ここは事務所の前に男の自宅なのだが、初めて訪れた時から妙に生活感が排除されていることに気付いていた。要するに、娯楽になりそうなものなんて最初からなかった。見た目麗しい美人探偵が天使と揶揄されるのも地に足がついてなさそうだからで、助手が信仰したのは現実感のある鋭い頭脳と危うく天国へと還っていきそうな雰囲気のギャップだった。三尾の第一印象はそこらの生物とは一線を画している、である。我ながら恥ずかしい勘違いだが、総じて助手は探偵には甘いと決まっている。けれど、そのことは探偵と助手の台本に書かれているだろうか。 「じゃあ、しりとりしますか」  呆れて冗談を言えば、真面目に考え込んで首を横に振った。それでは、何がしたいのか。更多野を放置して朝食を探しに椅子から立ち上がろうとすると、待ったを掛けられた。渋々座り直すと、彼が言うところの名案が組み立てられた時の熱の篭った瞳でじっと見つめてくる。経験上、嫌な予感しかしない。それでも、無視できないのは元助手の本能だ。 「この前のこと、もう一回しよう」  つまりは、セックスのお誘いだった。しかもまさか性行為の単語を知らない程初でもないので、意識的に避けているのだ。羞恥を感じるところがズレている。予想は十分出来たがわざと脳の隅に追いやっていた結果だった。あの時、それはもうAVもびっくりなぐらいに快感に身を委ねた更多野が推理の代替にハマってしまう危険性はあった。にしてもあの日から二日しか経ってないのに堪え性がなさすぎるのはいかがなものか。良くいえば素直とも言い換えられるが、性的好奇心の行きすぎはビッチにしか思えない。言葉を選ぶ時間をどう読み取ったのか、さらに後押ししてきた。 「責任取ってくれるんだろう?」  あんなに乱れておいて、記憶力の素晴らしさに涙が出てきそうだ。流石、尊敬する探偵だっただけある。そう言われると、更多野にICレコーダーで脅した側として反論は出来ない。実は三尾がアンフェアを苦手としているのを、知られている。それ以前に、更多野に探偵を辞めさせた時点で弱味を握られているのだが。 「……シーツの洗濯は僕の仕事ですよね」  実質肯定の意を受け取った途端に、更多野は発情したことを隠そうともしない。潤んだ瞳、艶っぽい吐息と、ほんのりと朱くなる頬。自然と目線を逸らしてしまったが他意はない。とにかく行為に飽きるまで相手をする。これも元助手としての責任だった。すること以外、現役のときと何も変わらない。 「ほら」  固まったままの更多野の隣に移動して手を取る。一連の会話で三尾のミッションは更多野を満足させて眠らせることとなった。この男は体力がかなりあるので、さっさと始めないと晩御飯が食べれなくなる。だから一早く寝室まで誘導するために手を繋いだのだった。全ては合理的な判断の元である。 「優しいな」  その返答や指を絡ませたのを解かなかったのも、時間がもったいなかったからであって、全部想定外だ。不自然なぐらいに白い静かな部屋で、苛立ち紛れに押し倒して唇を塞いだのも、全部。  どうにしても、嬉しそうに微笑んだ更多野には事の次第は予想内だったのだろう。そんなこと、三尾は知りもしなかったが。

 晩御飯の予定は夜食になり、倒れるように同じベッドで眠った。そうして当たり前に、朝が来る。気怠さを引き摺るようにして、冷蔵庫から水を取り出す。一気に呷り、一瞬悩んで枕元にペットボトルを転がすことにした。カーテンからちら付く世界は綺麗な部分だけを切り取っていて、現実を見るのが馬鹿馬鹿しくなる。天然水の容器が更多野の頭にぶつかり、こつんと音を立てる。衝撃で目覚めてしまわないか、心配だったが寝息は変化を見せなかった。そのまま立ち去ろうとすると、服の端に抵抗を感じた。目で追えば、更多野の細く色白な指がシャツを摘んでいる。一歩ドアへと踏み出せば離れていく力。それなのに、三尾は悪魔に魅入られたように動けなくなってしまった。肺が役割を放棄して、心臓が緊急事態とばかりに速まっていく。金縛りは何度も経験しているが、解き方は動揺して記憶から引き出せない。焦りが募る中、眠り人はそっと二文字を紡いだ。 その瞬間、糸が切れた操り人形のごとく床にへたり込んだ。人が倒れる音は早朝に響くにはかなり煩かった。それでも眠り続ける。無意識に人を刺しながら、幸福な夢に居るのだろう。ふわりととろける笑顔を惜し気もなく披露する。荒い呼吸を繰り返して、自らの頬を抓ってこの世界の実在性を確認した。ついに、裁かれる時が来たのだ。相手が更多野であるのは、必然であると理解を越えて納得してしまった。とても残酷で、それなのにこれ以上に待ち望んでいたことはなかった。三尾倫が更多野囿の助手になった時点で、決定されていた事項だったのだ。誰によって? それは言うまでもない。目の前の男によってだ。 助手は一生探偵と交われない。重なって見えるのは奥行を無視した錯覚に過ぎない。絶対的な事実を思い知らされて、三尾が幼気な少女なら泣いていたに違いない。見事に最初から最後まで手の平の上であった。ぽっかりと長年の侵食で開いた穴も三尾の行動も含め探偵は計画していたとしか思えなかった。そうでなければ、ふらふらと更多野の隣で縮こまって眠り直すことはないはずだ。ああ、せめて更多野は本当に夢を見ていますように。今だけは寝惚けた人間の馬鹿だと言い訳させてほしい。いつか、裁きを受けるから。きちんと罪を認めるから。手をぎゅっと強く握った。 最悪の目覚めであったら、理由も付けられたが、ここ一年で最高の朝を向かえた。甘く爽やかな香りは、芳香剤など一つも置いてない事務所にとって発生源は疑うでもない。隣の元探偵は未だに目を瞑っていることを確かめてから、呻く。更多野は簡単には起きないという信頼にまた布団に突っ伏した。 このままでは自尊心が大きく傷付くので、寝室から脱出してベランダから地上を見下ろしてみた。昨日よりは人数が減ったが、まだ張り込んでいる奴がいる。熱心にご苦労なことだ。上からあんパンと牛乳でも落としてやろうか。割と本気で妄想してから、ふと思い出した。昨日から新聞を取りに行けていない。更多野に引き止められるように一日中引き篭ってしまったが、ポストが新聞で埋まってしまうのは配達人に失礼になる。だからといって新聞を回収する元助手にカメラが向けられるなんてことは……ご遠慮願いたいものだ。 とにかく思い立ったら即行動は、助手という職業に染み付いた性質だろう。さっと玄関を出て戸締りだけをきちんとしたら、軽い気持ちでエレベーターに乗った。正面の鏡に映る姿にようやく正気が顔を出したが、無理矢理エントランスまで押し通す。予想と寸分違わず、自動ドアの内側には人は居ない。しかし隅に転がったボールペンから想像するに、もしかすると管理人の説教大会が行われたのかもしれなかった。真実なら同情には値する。 肝心のポストの中身は比較的まともだったので、安心した。大量のファンレターに記者のメモ、二日分の新聞、初めて聞いた名前の雑誌。最後のは宣伝か、事後承諾か。まあ、ファンレターやメモは三尾が責任を持って燃えるゴミの日に片付けるし、新聞と雑誌は暇を持て余した元探偵には丁度良いだろう。利口に待機していたエレベーターに感謝して、更多野の自宅へ戻った。 「ただいま」 「おかえり。大丈夫だったか?」 気紛れに、呟いた台詞に返事があるとは思わなくて多少驚いた。珍しいですねと呼び掛ければ、そりゃ気付くだろと返される。おい、それってどこからだ。問い質したいのを我慢して、勢いよく雑誌と新聞を投げ付けた。 「乱暴だなあ、今怪我したら面倒だぞ」 余裕綽々にキャッチした更多野は言う。見た目にステータスのほとんどを割り振っているように思えるのに、冴えた頭脳と運動神経も悪くないのが、単純にムカつく。もちろん顔には不満は見せない。にっこりと笑ってみせるのが礼儀だ。 「読み物があれば、退屈も紛れますよ」 「三尾くん、辛辣だな」 「いつもそうですよ。知りませんでした?」 「いいや。君が思うよりは知ってるつもりだけど」 心底楽しそうに、にやりと頬を緩める。これ以上の会話は相手に遊ばれるだけだろう。無視して、リビングへ足を進めることにした。更多野の悲痛な声が廊下で反響していた。

 これでようやく今日に戻る。今日は三尾がコーヒーを淹れ、香ばしい香りの中、話題の元探偵は「傾国のイケメン探偵、引退!?」というタイトルが躍る、安っぽいゴシップ誌に目を通していた。その顔付きは物言いたげに顰められていた。基本的に活字なら好き嫌いせずに読むタイプである。地下アイドルの熱愛報道から、星座占い、連載コラムまで読む読者は貴重ではないか。ここまでの知識の貪欲さが探偵をする上での条件なのだろう。やはり探偵は天職だったのかもしれない。でも自分が生きている内は二度とさせる気もない。難しい話だ。 「この記事に、一体誰がGOサインだしたんだ?」 頬杖を付きながら、自らの記事の一文を指で示す。促されて、読み上げる。イケメン探偵、神隠しにあった!? なんでそうなった? 脈絡や論理の欠片のなさに、笑いが込み上げる。衝動に逆らうことなく笑ってみれば、むっとした表情でこちらにもの言いたげな視線を寄越してきた。 「いや、この記者小説家の才能あるんじゃないですか」 「というか、既に小説家だ」 誌面の端のプロフィールを眺める。雁憑嗣目(がんぴょうつぐめ)。T大学卒。24歳、「狐耳を探して」で小説家デビュー。デビュー作を含む「ヤセイのミミ」シリーズで、今期待の新鋭作家。 「へえ、初めて聞いた名前ですね」 「あー……これはライトノベル作家だね。三尾くんには縁のないタイプの」 更多野は苦笑いして、一人頷いていた。ライトノベルにも精通してるなんて乱読家の守備範囲は計り知れない。ライトノベル作家がライターをしている意味は深く突っ込まないでおく。 「この記者は元々こういうオカルト調の作品を書いている作家なんだよ。大方、突拍子もない新説を考えるように言付けられたんだろうね」 いつも通り新聞の地方面を広げると、なんと更多野の写真が載っていた。一年前の離島殺人事件の時のものだ。いつの間にか撮影されていたらしい。業界としては探偵が新聞に取り上げられることに賛否両論が飛び交っているのだが、更多野に関してはお偉方から広報活動を打診されたこともあるため例外扱いされているようだ。それに、とあるファッション雑誌でモデルとして表紙を半年飾ったという実績も、探偵への人々のハードルを下げたことは間違いない。(一応断っておくと、探偵が捜査のためにモデルとして潜り込んでいただけだ。しかし急激な売り上げアップに繋がり、社長から契約を迫られたという事情があった。) 新聞の記事の内容もゴシップ誌よりは多少マシぐらいの精度で、引退の理由として探偵が事故事件に巻き込まれて活動が出来なくなったという説を提唱していた。もうそれでいい気がする。まともな嘘でまとまりかけているのに、下手な真相をわざわざ公表する必要はない。完全なる私情であると知られたら、また荒れそうだ。 「そういうことですか。この雑誌は更多野さん引退の理由大喜利で、話題になろうとしたと」 「言い方に遠慮がないな。でも、合ってはいるよ」 雑誌や新聞でこの有様なら、インターネットでは本当に大喜利しているのだろう。三尾はあと一ヶ月間はブラウザを立ち上げないことにした。自分の与り知らぬところで噂をされるというのは、あまり気分が良いものではない。顔色に出ていたのか、困ったように微笑を浮かべ更多野はそっと秘密を打ち明けた。 「大丈夫だよ。真実は僕と君しか知らないんだから」 瞬間、聴覚から砂糖を流し込まれた感覚で発火する。訳もわからず、咄嗟に机に顔を伏せて隠してしまう。これは天敵から弱点を守る動物の本能なのだと、冷静になれたのはもう少し後のことだ。 「三尾くんも、そろそろ素直になってくれてもいいんだけどな」 揺れるカーテンは広い空を遮らない。相変わらずきらきらとした青が眩しくて、目を細める。風に乗せて、小さな告白は晴天の空へと運ばれていった。

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