杞憂
​ 放課後の教室は不自然なほどに静寂に満ちていて、互いの吐息だけが交わう。想いが通じ合ったあとの空間には、高揚感と気まずさが同居する。花鳥は身悶えしたくなる雰囲気に視線と手の行き場を失った。夕焼けと同じくらいに顔を朱に染めた芹は、それを掻き消すように口を開く。 「あのさ……一つだけお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」 「ゲ、ゲシュテーバーの頼みなら、何でも聞くぞ」 ​ 突然の申し出で思わず声が上擦った。両想い直後の一挙一動は、つい甘いことに期待を寄せてしまう。けれど芹の表情に薄らと影が差している。これが照れ隠しでないとわかってしまったから、唾を飲み込んだ。 「僕たちが付き合ったこと、絶対にからかわれるからまだみんなには内緒にして」 ​ お願い。相棒よりも近い距離で翡翠色の瞳が見上げてくる。吐き出されたのは、なにかが壊れてしまうことを恐れる切実な声。いつもとは違い、弱々しげに震えていた。 ​ その瞬間、たくさんの言葉が脳裏を過った。
『ここまでヘタレてきたんだから、今が勇気を出すときなんじゃない。花鳥。頑張ってきなよ』 『かぶ殿。……こゆ吉殿を泣かせたら、容赦せんからな』 『えっ、ミゲル先輩、ゲシュテーバー先輩とまだ付き合ってなかったんですか』 『なるほど、シュトゥルムフート様はゲシュテーバー様と公私共々強い絆で結ばれているんっすね!』 『あー、小雪もお前もわかりやすいもんな。少なくともうちのクラスでは噂になってるけど』 『やっぱり小雪くんは……そうだったんだね。ううん、二人はお似合いだよ! ……私は応援する!』
「あ、ああ……」 ​ きっと相手が想定しているメンバーには全部バレている。彼が思うよりずっと周囲は聡かったらしい。どうやら当人同士だけがこの気持ちに気付いていなかったと言うのだ。 ​ それでもこの高校で巡り会った仲間たちは花鳥と芹の関係を誰一人馬鹿にしないだろう。たとえ誰に何を言われたとしても、騎士として相棒を、恋人を絶対に守る。花鳥は裏庭で初めて彼を見つけたときから、その笑顔が見たいと願ってきたのだ。 ​ だけど自分たちの関係を憂う目は吸い込まれてしまうほど真剣で、口を挟むことも躊躇われる。ゲシュテーバー、心配しなくても大丈夫だからな。そう声を掛けてやりたかったが、恋人の懇願にただ頷くことしかできなかった。