落ちるに語る
四限目が終わり、帰路に就いていたはずだったのだ。だから車内がいつもより言葉少ななの理由も楽観視していた。それが思い詰めた計画かどうかなんて、わかりっこない。事件の真相なんて、結局犯人しか知らないことばかりだ。世間は空白を都合の良いように埋めることさえ推理と呼ぶ。 ​ 名探偵は真相を見つけてなんかいない。ただ論理付けすることしかできないのだ。 ​ それでも『真実』なんて嘘を吐いてまで、誰かに捧げる。それが探偵の使命であり、存在意義だと思っている。
いつも通り同乗した帰り道。ハンドルを任せていたら反乱が起きた。突然、アヤタの家に連れてこられたのだ。途中でルートが変だと直感したが、言葉を掛けても、運転席からは塞いだように言葉が詰まるばかりで俺は口を噤んだ。 ​ 程なく到着すると、俺を降ろすことなく車庫に入れ、アヤタは先に立って歩く。初めての振る舞いで、それでも着いてくると信じているのだろう。足音が乱れたときに咎める言葉が気になるが、大人しく靴を脱いで、こんなときでも揃えられたスニーカーの隣に並べる。 ​ 生活感あるリビングを抜け、冷えた廊下を進む。お茶も配慮もすっかり影を潜めていた。顔も見せずに無言で階段を上るので、過剰に踏み締められた足元からしか感情を窺えない。そういえば、アヤタの家に来るのは、進路を決めた高校三年の夏以来だった。 ​ やや強めに開かれた部屋の中は、どこまでも普通で代わり映えがなかった。ミステリーが並んでいる本棚、ノートパソコンの置かれた学習机、軽く整えられたベッド。すっきりと無難で、この状況なんて想定もしていなかっただろう。 ​ 俺が後ろ手にドアを閉じた途端、男は振り返った。 「僕の人生を、どうするつもりなんだ」 ​ 低く、辿って焼き切ろうとする声だ。これまで一度も喧嘩したことのない相手から胸倉を掴まれるなんて、夢にも思っていなかった。怒りとも悲しみともとれない瞳に睨まれる。じっと見つめる俺を咎める声が、鼓膜を震わせた。 「僕のこと利用して、神様ぶってるんだろ。知ってるんだよ!」 ​ へえ、流石にバレてたか。アヤタがそこまで考えていたことに純粋に驚きを隠せない。鈍感で自分のことにすら興味のないお前が俺のことで拗らせてしまうなんて、本当にかわいいな。どれだけ俺に依存してるんだよ。こんなにわかりやすい生き物がこの世にいるのか? どろりとした想いが溢れて、囁いてしまう。 「そうだな。でも、アヤタも俺がいないと生きてけないもんな?」 ​ ほら、お互い様だろ。まさか、今さら逃げられるだなんて考えてないよな。おい、動揺するなよ。平凡な常識人ぶってる助手の推理なんかお見通しに決まってるだろ。お前が授けた『名探偵』とは、そういう生き方なんだぞ。 ​ 大方、俺がアヤタのために働く理由にようやく見当がついたんだろう。でもその推測には重大な穴があることに、人に興味を持てないアヤタはとうとう辿り着けなかった。ミステリー小説では、陳腐な動機の一つなのにな。
人はな、欲望のためには何だってできるんだよ。 ​ たとえ承認欲求だろうが、そんなの後付けの理由に過ぎない。ただ欲しいものを手に入れたかったから、俺を必要として離れられないようにしたかっただけ。依存して、依存されて、思考をだんだんと俺の色に染めていく。なんて素敵なことだろう。実際にアヤタは俺がいなければ部活や進学先も決められない有様だ。 ​ それでも足りない。もっともっと依存して、俺を世界の全てだと信仰してほしかった。正しいと肯定してほしい。理想が苦しいからなんだ。たった一人、特別な人に認めてもらいたいことを、恰好付けだと言われるのは心外だ。 ​ アヤタに初めて名前を救い上げられた。そのときから『佐々木灯影院』は骨抜きにされていた。しかし特別を授けてくれた相手は、俺の名前を殺した人でもあった。そうわかったときから、実力行使に打って出た。だって、そうだろ。ヒーローは、マッチポンプで人の心を殺してから英雄となったのだ。なのに何も知らずに頼ってきて、身の丈に合わない幻影が剥がれていく相手を横目で見ながら、決心した。信じた人に見捨てられる苦しさを思い知らせなければならない。 ​ だけど、捨てられなかった。どうして俺だけを純粋に頼ってきて、いなければ不安そうに揺れる瞳を振り切ることができるだろう。それに何度だって、俺の名を肯定して定義してくれる存在はアヤタのほかにいなかった。そのことを自覚したとき、完敗だった。 ​ せめて俺と一緒に溺れてくれと願うのは、あまりにも憐れなことかもしれない。それでも最後に人が祈るのは、神様が同じ地位まで堕ちてくれることなのだ。 「違う、僕も灯影院も本当はこんな」 「アヤタはもうやめたいのか?」 ​ 震え出した言葉に被せて、問う。ここまでアヤタが自己を見せてくることは十数年来の中で初めてのこと。だけど、勝算はあった。じっくり時間を掛けて、歪めてきた関係性を、何よりアヤタを信じている。 「はっきり言うけど、お前が何を言ったって変わらないよ。俺は変えない」 ​ 意見の衝突が得意じゃないのに、受験勉強のためだと頑なに小説を書かなかった要領の悪さも愛してしまっているのだ。居づらくなったのは自分と副部長の折り合いが理由なのに、文芸部をやめることすら選択できない。ならばアヤタが固執する理由を取り除いてやればいい。そんなの推理する必要すらない。幼馴染の経験則だけで解決できてしまう。 「だって、俺はお前と日常を繰り返していきたい。アヤタだって、そうなんだろ」 ​ アヤタは変化を苦手としている。なんだかんだ言って、ぬるりとした日常を望んでやまない。非日常は日常のスパイスでしかなく、これから先もつまらないぐらい平穏な日々が続くと信じているから、わがままを言えるのだ。だからこそ名探偵なんて幻想を本気で信じてくれる。 ​ そもそも名探偵は何のために謎を解く? 解決に乗り出すのは、本当に真実を知りたかったからなのか? きっと違う。謎は解いたところで世界に信じさせないと意味がないのだ。 ​ じゃなきゃ助手なんていらない。一人で成立する推理は妄想と何が違う?古今東西の名探偵が他人を傍に置くのは、なんでもわかる頭脳明晰な超人であっても、むしろそうであるほど社会とのズレを理解して、自分の導き出した答えが正解だと誰かに証明してほしいからだ。現実と空論の橋渡しをするのが社会を投影する助手の役目だ。 ​ だけどそれは反対のことだって言える。俺はアヤタ専属の投射機になってみせた。突飛もない解答だって、お前が気に入ると考えて作り上げた。 ​ なあ、アヤタ。そんな都合の良い幻想を捨ててまともに生きていけるのか? この世はアヤタが想像する何倍も選択とその後悔に溢れている。俺がいなかったら、すぐ破綻しそうな人生。肯定一つで一生『日常』を保証してやろう。
「それにさ、俺だってお前と一緒に居たいよ」 ​ 縋り付くような弱音を見せたら、アヤタは息を呑んだ。ほら、どこまでも甘い。お前が激昂するなら、俺はスターの裏顔を見せる。そうすると、ほとんど見せたことのない面に混乱する。そういう筋書きで、まだ演じられる。あとは独壇場だ。 「……僕だって、別に友達をやめたいわけじゃなくて」 「ならこのままでいいだろ。俺は、俺が望んでお前の隣にいるんだ。……信じてくれないのか?」 「でもそれじゃ、お前は」 「俺は名探偵だぞ。そのくらいわかってる。アヤタは何も考えなくていいよ。ただ……一つだけお願いがある」 「……なんだよ?」 「お前が困ったとき、一番傍に居させてくれるか?」 ​ アヤタはぽかんとした顔で言葉を咀嚼していた。そして逡巡して、答えが絞り出された。 「……わかった」 ​ その選択は、結局何一つ変わりないことに気付いているのだろうか。いや、確かに一線を越えた。お前はこの歪みを認識しながら受け入れたのだから。
探偵と助手という幻想が消えたとて、その肯定は事実だ。どんな関係に形を変えようが、底に通うものが共犯の受容とは、これ以上ないほどお似合いだろ?
リメイク。元は2019年。